かいどぅ

日記など

今週おれは帰る♪生まれ育った町へと♪

というクリープハイプの曲が大好きだ。愛の標識、愛の点滅、愛のネタバレ、愛のシリーズは全部好きだ。今週おれは帰る、生まれ育った町へと。まず今日は母方のおばあちゃんの家がある長野市に帰る。最近ツイッターでもこのブログでも親の過干渉と過保護は絶対悪みたいな話しかしてないからわかると思うけど、おれは家族が嫌い。ただ母方の家系もといおばあちゃんは尊敬できる、だから長野に行くのは楽しみだ。

ただ(2回目)母のことは正直好きではない。一人暮らししてから母親のありがたみが痛いほどわかるようになった。父親の実家で暮らしていて、父親の家系の過干渉な育児方針で何一つ手伝いをしなかったおれは家事ができないことに気づいたからだ。(もちろん、手伝いをしなくてもいい環境に味をしめて自分から何か手伝おうとしなかった自分にも非がある)母親に素直に感謝したいと思っている。

だけどあの人から聞く父親の愚痴、ヒステリック、LINEの文章の気持ち悪い句読点の打ち方は、いくらありがたみを感じているとはいっても嫌い。良いところばかり!なんていう人は誰かに恋して盲目になっていない限りはありえない話で、人間は全員嫌なところと良いなってところがある。嫌いな人というのは、長所で拭えないほどの嫌な部分を持ち合わせている人のことだと思う。

人の良いところを知れば知るほど、そいつが絶対持ち合わせている嫌いなところに過敏に反応してしまう節があってとにかくそれに困っている。これまで母親の嫌なところしか見えなかったから思う存分嫌える余地があったのに、母親に感謝の気持ちが芽生えたせいでそれが減った気がする。その居心地の悪さが嫌なんだ、おれは。

12時49分に長野駅につくから母親と会うまで約2時間半。こんなこと文章に起こさなければよかったよ!顔に出たらどうすんだよお。

そんなおれだけど、昨日は掃除をした。部屋の掃除だけではなく、データの掃除もした。学校の課題を提出するために大量の課題ファイルをダウンロードしていたから、いらないファイルがパソコンにはたくさん溜まっていた。iPhoneに溜まったいらないメモを消す。行けなくなったタイ旅行の計画、定期試験の時間割、心療内科に初めて行ったときに何を伝えるかを書いたメモを消した。

文章を書くツイッターやブログ、単語や10数文字の短文を箇条書きで羅列したメモ、主語と述語の有無の違いはあるけど、どっちも自分が書いた活字だから、そのとき思ってたこと以外にも、書いたときの時刻とかその日の天気とかを見た瞬間に思い出させてくれる。これからも日記を書くことは続けようと思う。

昨日は金曜日だった。金曜AVロードショーと称して毎週金曜日寝る前だけ、30分エロ動画を見ている。中学生のときに発病したポルノ中毒にもう一回ならないためだ。もちろん我慢できず金曜以外の他の曜日に急遽番組が枠移動することだってあるけど(番組プロデューサーの権限が強すぎる)そんなときでも、自律の心意気を持っている自分のことを褒めようと思う。それと最近エロ本を買ってからというもの、FANZAからのメールが止まらない。受信拒否にしよう。顔射グラビアの新刊情報が入ってる受信トレイを見られたら恥ずかしいでしょ。

そのあと7時間寝た。バスだか何かを朝5時くらいの晴れた日に待つ夢を見た。夢で見た晴れ空の感じは、この間見たぼっちざろっくの最終回のEDと似ていた。寝起きの自分の頭に、転がる岩、君に朝が降るがまさに「降って」きて、携帯のプレイリストから再生した。おれはまだアジカンが演奏した原曲を聞いたことがない。

尾崎世界観、笑顔で嬉しい。本人は怒ってるかもしれないけど。

昼ごはんは長野駅で食べることになっていた。腹を空かせて(他人の金で)たくさん食べられるように朝ごはんを抜いた。朝ごはんを抜くと、デブとしてはやはり抜いた食事分のカロリー収支が気になる。朝ごはんがご飯茶碗一杯分弱としてだいたい260キロカロリーくらいと見積もり、昨日はお菓子を多めに食べた。こういう計算を頭の中で無限にしてしまうので、精神の肥満(僕は心デブとよんでいます)は百害あって一利なしだ。ちなみにイチローは心についた脂肪はなかなか落とせないと言っていました。イチローさん体脂肪率一桁なんですって。僕の携帯の充電もいつもそんな感じです。

たけのこの里。自分のツイッターから画像をコピペして貼り付けたらアップロードに2分くらいかかったの何?


大手町駅から東京駅に向かう途中、行幸地下ギャラリーという道を通った。独特の変な香りとモワッとした暑さで気持ち悪くなった。それにしても、新幹線チケットを1人で予約して1人で乗れるようになったのは成長だ。隣の席に寡黙な、だけど仲の良さそうな老夫婦が座っている。沈黙を無理に埋めようとしない関係性は素敵だ。あとこの人たちが食べてた弁当美味しそうだった。

youtu.be

全然関係ない話をする。

上にはった二つの文章および動画(10:42あたりからです)を見て、本を媒体としている文章は、ほかの表現や創作物と違って、作者の人間性を理由に嫌われることが少ないのではないかと感じた。確かに、作者がどんな嫌なやつだとしても、それを理由にそいつが書いた小説(エッセイもそうです)を嫌いになったことは、本当にない。

一個目のnoteの作者さんが非常に上手い形で言語化してくださってますが、本の作者というのは「自分の作品を受け取る人」ひとりひとりに向き合ってくれる方が多いのだと思う。

音楽とかドラマなどの創作物は、パフォーマー人間性やビジュアルなどで人気が左右されやすいので、どうしても(悪く言えば)ファンに媚びを売るような売り出され方がされがち。媚びを売るような売り出され方が度を行きすぎると、やっぱり売り手側の思惑が見えてあまり気分はよくない。あと自分の経験からして、アーティストや俳優のファン同士で交流していると、自分が「特定の人物のファン」という集団に属している感覚が強くなる。だから好きなコンテンツから遠ざかった時、好きなものがひとつ減った悲しみに加えて、ある集団から外れてしまったという感覚も覚える。そういう体験を本でしたことがないから、読書は心地いいのだと思う。

昨日推しの子を見始めたので、こういう話題について考える機会が増えそうです。チャオ