かいどぅ

日記など

北海道のような男達

ウイルスの流行で自粛生活が始まってだいぶ時間が経つ。最近は外を見ると人の数も多くなっている。

バカ真面目にこもる必要もないかもしれない気がするが、外に出ても色々なキモい自意識で卒倒する病気を抱えているおれは反骨心剥き出しで窓をピシャリと閉めてネットを見ると落ち着く。すみっコぐらしのすみっこが最悪の場所にすり替わったといったところだろうか。

最近流行っているチー牛顔のせいで外に出たがために知らない人にあー見てーあれ三色のチー牛顔だよーとか示唆されたりしたら多分命を絶つ自信がある。見えない敵とわざわざ外に出て戦うおれだけ一生自宅禁錮とかでいいんじゃないか。

朝飯。最近納豆を食べている。

味はそこまで嫌いじゃないが、味と一緒についてくる様々な要素は苦手だったし、小学生の頃に納豆が給食の献立に入っているとなんと配膳用のお盆をまるごとひっくり返してしまう(あらかじめ全部の品が入ってから実行する。いいのかそれで)友達がいてあんまり美味しいなと思って食べれる感じではなかった。

しかしなんか納豆には美容効果があるらしく女性が結構食べてるとのこと。

納豆の見た目の異様さは女性の理想とするものランキングでは恐らくかなり下位に入っている。少なくとも1位とかになってたら石原さとみの金麦のCMとか、この世のあらゆる女性の笑顔はより粘度が増え、黒い画面に反射するオタクのようにニチャニチャしているわけである。テレビでずっとみんながそんな様子でいたら人と喋っているときの陰キャラ特有の気持ち悪い自分の笑顔がよぎって死にたくなるだろう。

しかし納豆に入っているポリアミンやらアミノ酸やらなんやら消化酵素とセットで出てくるような栄養素は人に美容効果をもたらすらしい。そんなこともあり今ご飯には納豆を乗せている。朝の人間の口はマジで汚いのでそこに納豆をぶちこむのは勇気がいる。一週間続けても顔に変化がないのでなんで豆を嬉々の表情で食べてるんだろうと我にかえる。

アトピーの薬を全身に塗った後勉強。

www3.plala.or.jp

一万リツイートのつぶやきの引用リツイート一覧とは違う厳しさが勉強関連サイトにはある。引用リツイートを可視化しようという性根の腐ったアイデアを通したツイッター本社の人間の心は間違いなく心が腐っている。ヤフー知恵袋の勉強カテゴリーにいる句読点のみで感嘆符のない感情を失ったおじさんの回答者が一番胃に来る。この間化学でわからない問題があったから検索して当たったサイトを訪問したらエロサイトで出る詐欺のウイルスにかかったよ。ネット上のサイトは年々増加してるし目的のサイトに辿り着けないわいせつウイルスもいるよね。くたばれや

漠然と「薬剤師になるか…」という思いが湧き、それ以来ずっと毎日何時間も勉強している。「お前高1なのに今から受験勉強ってせっかちすぎだろ、だからハゲるんだよハゲ」という仮想敵が浮かぶ。

おれの高校は理系は理系だが方向性が違う上、専門性の高い勉強に進学するにつれ徐々に移行していくため今から死ぬほど勉強しなければ道を開くことはできないだろう。まだ本気で決めたわけじゃないけど、本気で目指したくなっていざ勉強するぞ!となったときに急に脳に良い成分をおれの身体が出しまくるような主人公補正がかかるとかそういうことはないのである。ていうかその補正随分気持ち悪いかかり方だな。一応今から勉強しておこうという心置きで今はいる。

平日、家にいるときはテレビをずっとつけている。昔、熱を出して学校を休んだときに寝ながら学校にいる時間帯に放送してる番組を観たとき、革命が自分の中で起きた。生きている限り自分の人生を「おれには関係ないわ」と突き放すことはできないけども、なんか初めて平日の昼のテレビを観たときだけは少しそこから離れた気がした。これが原因で仮病癖がついて中学3年間廃人のような通知表を貫き通した。高校にはなぜかいけた。

youtu.be

エールを見るため一旦勉強を中断。窪田正孝を初めて見たのは確かドラマのデスノート。最終回が焼肉定食エンドと言われたことは記憶に新しいが、天才サイコパスからこの素朴な作曲家までこなす役の振り幅はすごいとしか言いようがない。おまけに先日、窪田正孝が誰だって波乱万笑っぽい番組でEXILEのダンスをこなす動画をYouTubeで見てしまい思わず憤慨してしまった。できないことがない。おれもこんな天才になりたい、もちろん努力したのも知っているけど。まず死んだ髪質を治そう。

その後あさイチ清原翔が出ていた。最近sumikaのミュージックビデオに出てたっけ。以前出演した映画の監督に「もう今までみたいに談笑している暇はないぞ」と最終回の撮影の前日にLINEされたというエピソードを聞き震え上がる。もうおれは最悪だからそんなLINEを入れられたら絶対にスパム報告してアカウントを使えなくするだろう。プロは違う。

あと、YOASOBIというバンドが出てた。他に似たバンド名でヨルシカとずっと真夜中でいいのにというバンドが存在する。おれはYOASOBI以外はあんまり聞いたことないけど、この3組はボカロPの文脈にあるという。うごメモでひたすらボカロにPVをつけた動画を見続けてボカロ曲を探していた小学校時代を思い出す。

やがて家を出る時間になった。今は9時半。登校まで40分かかるが、それでも開始時刻の11時までには時間が余る。ちょうど今真面目系クズという言葉がツイッターのトレンドに上がっていて胸が痛いのだが、待ち合わせより早すぎる時刻に場所に到着する人間は時間管理が下手なルーズだということを検索して知った。なぜ自分から重箱の隅をつつかれにいくのか。

準備をして玄関に向かう途中、突然刺すような痛みが直撃。すごい痛かったので叫んだ。誰もいない家におれのうめき声が残響した。便意だ。最近何故かsiriの穴(英語:anus)がすごい痛いのでできればこのままうんこを腹に食べて死ぬときに撒き散らしたいのだが、うんこを溜めたときの屁はマジで臭い。おれは昔バレたら地元で一生いじめられるくらいの屁をしたことがある。

クソ、痛すぎる…クソだけに…夏のウォシュレットは一段と冷たい上、ケツにあたる水は冷たいほど危険らしい。そんなことを言われたらいよいよ近場の温泉でぶっこくしかないわけだ。菅田将暉の見たこともない景色のジャケットのポーズで便器のレバーを倒す。しかしなぜか様子がおかしい。水位がなかなか下がらないのである。なんとなく最近水の音が鈍い気がしたが、この便器そろそろ寿命らしい。一回トイレを出て台所から割り箸を持ってきてトイレットペーパーを分解した。まだ自宅だがすでに嫌になってきた。

自転車で通学。近所の中学校と小学校の前を通る。おれが通ったところじゃないが。中学校ではノッポの先生が体育をしていた。小学校の体育館から鳴る鉄琴。20メートルシャトルランだろうか。50回をすぎたあたりでおれが脱落した次のターンからぽろぽろリタイアする人間が出始めるのがかなり辛かった覚えがある。今となってはいい思い出。

二回ある坂で足を壊して学校の近くまで。本来の駐輪場に停めるのは初めてなのでルートを確認するため、前日にストリートビューで確認した。坂がキツい。途中よくわからない動物がいた。近づいたら逃げられたのちボチャンという音がした。死んだのか?自転車を漕ぎながらのマスクの着用はキツい。呼吸が苦しくなると全身も比例して痛む。白鵬をリュックに詰めて自転車を運転している気分だ。

自転車を置いて鍵を抜く。鍵の刺さっている自転車をパクろうなんて気には多分一生なれない。(いけないとかじゃなく、怒られるのが嫌だから)校舎に向かおうとすると20段くらいの角度がついた階段が。この学校、SASUKEなのか…?

目をひん剥いて階段を登る。日差しが強いため失明すると思ったのでやめた。自販機でなんか買おうかと思ったが、当方自粛期間で食べ物を食べていたらなぜだか実年齢より30歳ほど腹が老け家から着れるボトムがどんどん無くなってきているので痩せるためにやめた。顔の造形もレビューに困るような仕上がりだし、肌荒れも酷い上親の遺伝で毛深いため太ったら完全に終わる。大人になったらレーザー脱毛したい。

5階までの階段を登る。2回くらい帰ろうかと思った。すでに一人到着しており信じられないほど悔しかった。こんにちはと挨拶されたので返事をしたが力を入れすぎて怒っているように聞こえたかもしれないと今もビクビクしている。

話したこともないのでお互いスマホを教室でいじる空気の不味い時間。やがて続々とクラスメイトがきたが誰もおれの席の近くに座らない。本当に誰も近付かないのでもうおれが24時間不休で嫌な匂いか人の神経を刺激するようなウイルスをばら撒いてるかの二択しか思い浮かばない。

時間になるとクーラーボックスを持って先生が来た。(あたりまえです)瞬きが多い。

最初教員紹介のページで先生の項目を見たとき陸上のユニフォームを着て、多分撮影した日に日差しが強かったんだろうけど目をしかめた表情が威嚇のようだった上、文章中に命令形の活用で格言が書いてあってあまりの仰々しさに腰を抜かしたため、恐怖の中iPhone内蔵のタイマーを5秒で止める遊び(4Gになると基本これしかしてません)をしながら先生を待っていたのだが、話している姿を見るとすごい優しそうな先生だった。

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勇姿

人とコミュニケーションするとき、文章と話したときの印象の違いは顕著だ。スマホに依存しすぎて母音に子音を足せなくなったため日々ネットで足りない語彙で喋っているおれも実際に生・人間に会うと「あー」「いいね」「うん」「えー」「おーすごい」以外の相槌が出てこない。おれはこれをカスのあいうえおと呼んでいる。

先生から説明やらなんやら受けたあと「みんな暑いと思うのでアイスを買ってきました」とアイスをクーラーボックスからおもむろに取り出した。ガチの不景気の今、先生の優しさがつむじから伸ばしすぎてU字にカーブした足の親指のヤバイ爪まで染みる。医者に行くと抜き打ちで剥がれそうなので放置している。

四種類のアイスを選ぶ。全てバー状のものだった。

 

 

 



何味かまで覚えてないが、ホームランバーにはリーダーシップのありそうな人たちが密集しており4歩引いて見ていてもけおされそうだったので無難に王道の北海道バニラバーを手に取った。83000平方キロメートルの北の大地、おれの15年間で備蓄されたルサンチマンまで受け止める広大さである。

北海道の土地にキツい私情をぶつけながらアイスを食べながら人の自己紹介を聞く。異様だった。自分の番がきた。当たり障りのないことを言って終了。

来週のオリエンテーションの説明が始まった。グループは共通のアイスを選んだ人で組まれるという。背伸びしてホームランバーに行っていたら惨めさで会話に入れないまま班長とかにさせられて実施日まで苦しまなければならなかっただろう。グループを決めて欲しい言われたので、初対面の四人で相談し「北海道のような男達」に決定。

熱中症の疑いのある友達と昼飯を食べて学科別の実習先へ。作業着を貰う。おれの知り合いで同じ名字の人がこの学校にいたらしく、サンボマスター山口似の先生に「兄貴はいるか?」と言われる尾田栄一郎的なシーンに。いないです。作業着を着て少し痩せた気がした。

工場に行くとサンボマスター山口似と伊藤健太郎似の他に数人の先生がいた。

工場長の人に金属加工の機械がいかに危険か、レポートの提出期限、レポートの提出箱に用紙を立てて置くのはやめたほうがいい、という話を聞いた。

自分から学科を選択したにもかかわらず昔から工作で使う電動ノコギリや家庭科のミシンは苦手だ。この日も指が飛ぶとか言われたから終始鉄の恐怖にうなされて夜は先生に怒られる夢まで見た。どれだけ不快の寛容さが無いんだおれは。

しかし危険を知らないことよりも危険なことはないとも思う。前向きに頑張ろうと思った。とりあえずこのくらいで終わり。まだ学校には慣れてないが、こういう記録を取ることは大事だと思う。かつて中学を休んでいた頃の記憶が岡崎体育のBASIN TECHNOと高橋優のパイオニアにあるように。

星野源のグーの「グー」は、何

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星野源

上画像で素朴に笑うこの男、1981年にオギャンと埼玉県に誕生し、インストバンドサケロック大人計画での演劇活動、コラムやエッセイの執筆をひたむきに頑張り続けた結果、ぼくらが何だかわからないうちに紅白のトリを独占、親からもらった体だけで118億の経済効果を叩き出すまでに急成長していた。親からもらった体を自分で壊していろんな病院をはしごしているおれとは違う。先月から高校生になり診療費もバカにならなくなったのも痛手である。このままメガバンクになろうとしている一人の人間のような経歴になってしまったがざっくりまとめると星野源はこんな感じである。もちろんいろんな苦労があったことも知っている。

news.livedoor.com

星野源アイマスを愛している

星野源の曲、というとどんなものが浮かぶだろうか。ブラックミュージックや、細野晴臣が世に広めたエキゾチカに大きく影響を受けた楽曲。他にもバックボーンはあるが説明するとキリがないのでここらへんにしておく。

歌詞はどうだろう。平坦でありながらキャッチーなフレーズも多い。今これを書いてる横でテレビでノンストップが流れている。ノンストップのテーマ曲「Non stop」は星野源の曲だが「夜の姿になるまでノンストップ(多分そう歌っている)」というフレーズ。この軽快さが星野源の歌の特徴だと思う。爽やか、疾走感、よりも軽快さという言葉がちょうどいい感じ。

平坦、と書いたが星野源の歌詞にはこの意識が顕著に出ているものが多い。最近の曲は世界進出の具合に比例して、普遍的なこの世への意識が強く歌詞に出ているものもある。が少なくとも星野源の軸はブレていないような気がする。

愚痴になるがおれはここ一年くらいで星野源はスーパーオーガニズムのオロノに影響されたなと思った。ひるむことなく意見を言えるのはいいことだが、日本の文化の問題になっているところを批判するのではなく、自分の好みに合わない日本の文化に好き勝手言っているように見えるオロノの姿勢は少し苦手だった。結局ここでしか人の好き嫌いを言えないおれが人の芯の太さにどうこう言っても説得力はないが…

星野源の歌は、ほかのアーティストと比べて非日常を感じる歌が少ない。(あるにはあるが)恋の「この世にいる誰も二人から」やアイデアの「続く日々を奏でる人へ」など、当たり前を重きに置いているという感じはなんとなく伝わってくると思う。一気に駆け抜けるような歌詞ではなく、いつまでも足踏みをしているような歌詞が続く。

星野源の歌詞に出てくる人間は自分主体で普通の日常を望んで送っている。そこにタワーマンションに住む人間などの「自分とそれ以外の人間」みたいな比較対象は存在しない。

星野源の影響なのか近年の恋愛ソングの歌詞はこういう傾向が増えているが、星野源とそれらの歌が違う点は「そんなものがなくても私たちはいいですよ」というマインドだとおれは思う。高望みしなくてもあなたがいるならいいというような、ある種派手への対抗のようにもとれる形で普通の日常を送る歌にしばし出る「生活」っぽいモチーフ(例:コンビニ)になんとなく素直に向き合えないおれであるが、星野源の歌詞は比較対象を排除してただ

「ああ幸せだー」

と噛み締めているから好きなんだと思うわけです。星野源は生活というものをあまり好きでないと公表している。  

どうだろうか。星野源の歌は平凡な日常を送る自分を高めの位置から俯瞰しているのではなく、平凡な日常を送る自分が自分の目線で見たものをそのまま写している。生活を素晴らしいものにしようと、自分の身の回りに向き合い面白さを見出すという姿勢は歌の中にも。生活は丁寧な暮らしのようなものではなく、つまらないの中で面白いものを探す努力をすることに近い、というのが星野源的な咀嚼の仕方だと思った。

 

星野源の初期の歌は特にその色が強い。ばかのうたにある歌は普遍的日常を送る人間(本で言及されていたがどうも登場人物は星野源自身ではないらしい)が悶々と考えることが歌詞にそのままなったようだ。

このアルバムに収録されているグーという歌がある。星野源のセルフライナーは「好きな人と一緒に死ねたらいいよね」ということになっている。本筋とはズレるが、星野源が生活の描写にこだわる理由もこの歌に少し隠れているような気がするので、そこについても書いていきたい。

youtu.be

少し脱線するが、死ぬ瞬間と普遍的な幸せがある歌詞として、シロップ16グラムのイマジンは共通している。

「将来は素敵な家とあと犬がいて」

「最後はベッドでありがとうって言って」

「人は人のまんまで そのままで美しい」

初めて知ったときはなんとも思わなかったが、聴いているうちに星野源のグーの思想と似ているなと思った。これも是非聞いて欲しい。

 

夢を見た日の寝起きの顔

ぶちゃむくれているけれど好きなの

ファンデーションより

すごいまつげより

グーグーグーグーグーグーグー

寝た後の顔がいい

 

人間の寝起きの顔はむくれている。女性ならば化粧をする人も多いので寝起きの顔は何も手を施していないすっぴんということになる。前に、ナンパした女性と寝て次の朝起きたら別人だったという話をネットで見かけた。それほどメイクで劇的にかわいくなる人もいる。

ぶちゃむくれているけれど、というのはすっぴんの顔は少し変かもしれないけどということだろうか。けれどという否定を入れてから「好きなの」ということは別に顔がどんな造形であってもいいしありのままのあなたを受け入れるよ、ということを言いたいのだろう。次に続くのは化粧品。ファンデーション、すごいまつげはない「寝た後の顔」がいい。この曲はこの文の構成を変えないまま最後まで流れる。Aメロとサビを5回繰り返して終了という異質な作曲。

 

西日差し込む居間の中で

しわを重ねた口がポッカリと

すごい着物より

輝くドレスより

グーグーグーグーグーグーグー

昼寝のよだれがいい

 

 

西日差し込む部屋というのは夕方の部屋。しわを重ねた口がポッカリとという歌詞を見ると二人は歳をとったのかと思うが、次の「すごい着物より 輝くドレスより」という歌詞は結婚式を連想させる。寝起きの顔を鏡で見るとこんなに老けてたっけと思うくらいほうれい線が濃くなっていることがおれはたまにあります。寝過ぎてシワを重ねただけともとれる

二人は結婚するのかしたのか。それは星野源にしかわからないが、いきなり結婚のモチーフが出てくるということは直近のタイミングで結婚したのだろう。結婚式の疲れで昼寝も長くなってしまい、よだれを垂らすほど熟睡してしまった妻。でもそんな顔がいい。そういう解釈もできる。

すごい着物より輝くドレスより昼寝のよだれがいいというのは、1番の寝た後の顔がいいのラインと同じ意味だけを持つわけではないと思う。結婚式という非日常からの解放。家に帰るといつもと変わらない時間がある。

星野源の思考の本質はこの部分にあるんじゃないか。当たり前の日常は素晴らしいものがあると一周回った考えを漠然と受け入れることをせず、地味な生活と向き合った結果、妻の寝顔、それもよだれが僕は好きなんだと。そうやって幸せを見出して、当たり前の日常「にも」素晴らしいものがあると噛み締める。

見る人によっては狂気的な幸せだともとれてしまうが、そもそも生活にわかりやすい派手な幸せのようなものは存在しないから、楽しみを見つけて前向きに生きようというパワーが星野源の歌にはある。

 

 

白いカーテンが揺れたよいま

この部屋にいつ来たのかわからない

すごい機械より

白いベッドより

グーグーグーグーグーグーグー

うちの布団がいい

 

 

この部屋にいつ来たのかわからない、と言っているので、目を覚ましたらいきなり知らんとこに置かれた、という状況。すごい機械と白いベッドが連想させるのは病院である。うちの布団がいいというのは安心感や妻を求めているということかな。

ここからはもう完全におれの主観なので解釈違いで拳を飛ばす前に電源を消すのがオススメだが星野源の恋愛ソングは基本的に相手がいない。(聴き手に語りかける歌は別にしても)というか、喋り言葉な感じがない。そもそも全ての歌詞がついた歌は作者の独り言のため話す相手なんかいないのだが。

RADWIMPSとかクリープハイプは主人公が面倒な人間なことも多いため相手を無視したままベラベラ喋るような歌詞が多いが、星野源の歌詞はラブソングであっても相手とコミュニケーションをしているのではなく自分の心の中の独白のような歌詞が多い。

このグーという歌も恋愛ソングでありながらあまり相手がいる感じはない。この3番で「白いカーテンが揺れたよ」というフレーズがあるが、これも恐らく相手に話しているわけではない。なんでこんなに内省的なのかと思ったが、星野源の恋愛ソングはグーからわかるように恐らく好きな人を主体に書いているのではなく、1日の中にある好きな人、という視点で書いているからではとふと気づいた。

 

 

隣の椅子で寝起きの顔

疲れてるのその笑顔好きなの

エロいナースより

管だらけより

グーグーグーグーグーグーグー

お前の隣がいい

 

椅子で眠る妻。おそらく見舞いに来たのだと思う。おれは逆上がりに失敗して腕の骨を折ったと同時に手足口病(4日ぐらい口の中が痛すぎてほぼ何も食べれませんでした)になったとき点滴を何時間も打つことになって、親も病室にいたのだがしばらくして寝てしまったのを見たことがあるからこの歌詞は共感する。エロいナース、管だらけというところで病院だとわかる。1番からの推移を見ると寝た後の顔からお前の隣という、少しだけだが抽象的なものになっている。なんでもいいから妻といたいという思いが伝わる。

 

 

見慣れた天井見て笑う

二人の布団は少し狭いな

寝起きの顔は

たぶん見れないけど

グーグーグーグーグーグーグー

お前の懐で

グーグーグーグーグーグーグー

少し眠ろう

 

 

見慣れた天井というのは入院しすぎて見慣れた病室かと思ったが、この歌は病院より家で死にたいという歌なのでこれは自宅ということだそう。大好きだった寝起きの顔はもう見れないが、少し寝よう。もう見れないというのはこの歌が夫婦一緒に死ぬ歌だから妻は永眠してしまう上、自分も起きることはないということを含んでいるんだろう。ここで歌詞は終わっている。うまくまとまらなかった上、途中の独白うんぬんは本当に意味が分からなくなったが、一応こういう文章をかきたくなったからかいたという記録として残しておく。

最後に、タイトルのグーだが、睡眠のモチーフが頻出しているので寝息なのではないかと思う。寝起きの顔がいいからグー、という考察もある。他にもあったらぜひ教えてください。

中1ギャップだったのか

ブログを久しぶりに書いた。二つ。

現実で起こったことをできるだけ早く書き起こすということは気持ちいいという気もする。当たり前だけど脳に力を入れて出来事を思い出すより、完成した自分の文章(下品で誤字脱字を無視したまま公開してます)で可視化できる形で浸った方が楽だ。おれのことは今後ほぼ終わったアジア人として見てほしい。

去年の今頃は毎日投稿をするというフレッシュさでおれはこのブログを書いていた気がする。

が実際質より量!という考え方でやった結果、自分の身の周りのことならまだしも、検索サジェスト上位になってしまったアーティストなどの記事まで気づいたら乱暴な文章になっていて、これじゃスパム報告でブログが死んでしまうじゃないかとはてなブログのアプリをずっとつけながら思うこともあった。

自然に記事の内容が想像できそうな記事のタイトルはほとんど付けれたことがない。

タイトルを最初につけると書いた文章がそれに引っ張られてしまい、文をネットに公開するまでの時間が若干延びてムカつくので最後にタイトルをつけることにしている。

あと話が脱線してしまうことも多い。鈴木一郎というタイトルをつけた記事で野球選手に触れている部分はおそらく3割くらいで、坊主の怖さが2割、床の話が4割、残りの1割は足の皮を剥ぎ始めたみたいなどうでもいい上に下品な話であろう。逸脱してるというより書くことに飽きたということだと思う。

また変に物書きぶって、作者は教養のないアホだとバレるような比喩を出した結果自分が何を言っているのかわからないまま「自分が何を言っているのかわからない」ということを平気で300文字くらい書いてしまう。

そういう文章は大概見返すと虫唾が走ってこんなクソブログいつでも潰してやれると切に思う。が次こそはいい文が書けると可視化できる根拠を提示できないまままたはてなのアプリを開いている。無能

起きる。今日は、遠隔授業のための設定を学校でしなければならない。

2月に高校受験を終えてから、毎日アトピーの薬を1日3個飲んでいる。40代にして緑内障と高血圧のダブルパンチをもろにくらった父は1日7個薬を飲んでいる。各薬が副作用を持っていたら確実に一生にトドメを刺される量である。

家内に健康な人がいないのであまり健康に対して口出しされたことはなかった。だから夜更かししても特に怒られなかった。中学生のときに理科の授業で寝たまま椅子からぶっ倒れてからもう3時に寝るのは控えようと思った。

が驚くことに布団に入る時間を増やせば増やすほど学校で寝る時間は増えていった。美容アカウントの体重のように起きる時間を絞っていくほど日中のおれは枯れていった。体重は3年間で10キロ増えた。デブだった────

おれは高校に行ったことは4回しかないがそのうちの二回は寝ていた。緊張してようが抑えられないらしく、推薦で高校に行った日には面接開始15分前くらいまでウトウトしていた。落ちた。

おれはできれば授業中にヨダレでノートをギトギトにしながら寝ていても周りが口出しすることは禁止したいが、15歳になった今そんな社会性のないことばかり言っていると高校での友達は絶対にできず停学生徒の対象になるので寝ないようにしている。

が医者が出したアトピーの薬全てには人間の眠気を活性化させる効用が含まれているためまさにそうは問屋が卸さないといった状況だ。

眠気を活性化という効能がSTAP細胞(-2014)よりもヤバそうだという気もしているが、とにかく最早皮膚病を治すために飲んでいるのか睡眠障害のステップで飲んでいるのかわからなくなってくる。

しかも効き目が目に現れることもない。恐らくだが公園のトイレの周りに生えてる深緑のドキツイ臭いの雑草の方が効く。そしてこの日は眠気のあまり弟の上にぶっ倒れた。ヤバイと思ったが今は普通に生きているので恐らく大丈夫だろう。

アトピーの塗り薬を塗る。なぜか父親がおれのアトピーに協力的な姿勢を見せているので塗ってもらうことにしている。

さて、薬を塗るということは全裸になるとほぼ同義だが、パンツを脱いだ瞬間から人は触法行為を身をもって行っているので隣のビルからおれの全裸を見た人から通報されないために窓のカーテンを閉めたことを確認する。アトピーとは恐ろしい病気だ。

塗り終わり、登校するまで時間があったのでいつも見ている朝ドラを見る。

野田洋次郎の俳優活動は一体どういうものだったのかとたまに考えていた。前前前世のブームが落ち着いたあたりにおれはその活動を少しだけ観測していたが音沙汰が全然なかった。

RADWIMPSのボーカルこと野田洋次郎が天才マンドリン奏者の役で出ていた。

まあ、なんとなく天才マンドリン奏者の役でオファーされそうだもんな洋次郎といつも思っていた。(嘘松!)天才マンドリン奏者という役マジでヤバイと思いドラマを見ていると今度は懐からギターを取り出してひとりでに歌を歌い出すしムチャクチャである。天才マンドリン奏者を見るために明日もおれはエールをみようと思った。

学校に向かう。晴れだった。体験入学のときと同じルートで向かう途中いろいろ思い出してしまう。

思い出すのは、弁当忘れたときやまとがランチパックを分けてくれたなとか、帰り際偶然通りがかったわたるの親の車乗せてもらったなとかひたすら他人の力で延命されているバカ(作者)の姿である。ここは鈍臭い男が自分のクズエピソードを懐古しながら書き連ねるブログである。2200文字読んだあなたを帰らせることはさせない。最後まで読んでブログのURLを引用しながら批判してくれるとありがたい。

途中に二つキツイ坂がある。これは、まるでおれの人生みたいじゃないかと一瞬思ったは思ったけど自惚れてることに気づいて自分の顔をブン殴りました。

顔をブン殴ったことで思い出したが、顔をブン殴ることにより目の病気の発症率が高まるらしい。おれは今失明に向けての足を一歩進めたということか。信じがたい因果関係である。ニュースで見るコロナウイルスの画像気持ち悪くていっそ失明したいぜーと思いながら顔を殴ったわけではない。忌々しい。

そんなことを考えながら坂を上り切るため自転車を漕ぐ。

肉の厚さのあまり「骨」を感じたことがないくらい太いおれの太ももが痛い。15年間太いねえと言われながら育ったおれの太ももが叫びを上げている。きっとおれが読モだったら坂の折り返し地点で華奢な脚を粉砕骨折してそのまま道端でぱたりと死んでいるに違いない。

高校は山の上に建設されていた。なんてことをしてくれた。山にあるということは坂を登らないといけないわけである。絶対に公共交通機関を使いたくないという信念で高校まで自転車で来ていた。

汗だくで坂を登るワイシャツのおれの横を軽自動車が通り過ぎていく。家の外に出るだけで私達、あらゆる競争に巡り合わせる。軽が多い街は田舎の確率が高いと聞く。意味不明な統計を思い出しながら車道を走る全ての車に破壊衝動が走った。

自動車に今おれ(160cm)が自転車で突っ込めばガラスは割れるがおれもろとも木っ端微塵になるのが関の山だろう。親が車を出してくれる人間と軽自動車に乗る人間には勝てない。この学校で得た知識を全て破壊に悪用していきたい。創造とは破壊である。このあと駐輪場は坂の途中にありますと校舎前の教員に突き返された。

教室に入る。数日前に学校から発送されたプリントでは学科ごとに入る教室が書いてあった。学科名が全部英語で書いてあったため、おれに対してそのプリントはなんの役目も果たしていなかったが、学校に入ると親切な先生が案内してくれた。

教室にいたのは名簿が偶数の人だった。登校する生徒は1班と2班に名簿で分かれている。

1班が偶数の生徒で2班が奇数の生徒だ。数学の成績が悪いおれでもなんとなく1班が偶数の生徒だというところに「あれ」と思ってしまった。この紛らわしさのせいか2班の間違って登校した子が一人いた。この学校の教員は偶数奇数の授業を踏襲しているのか。君はジミヘンドリクスを聞いたことがあるか。

途中坊主の生徒がおれの前に座った。

坊主を見るとつい警戒して腹を固めてしまう。おれは野球部の拳を受け止めたことはないがきっと食らうと保健室に行かなければならなくなる痛みなのではないだろうか。中学のときは仲良くしてもらったこともあるのに未だに苦手意識がある。

具体的には、さん付けする芸能人としない芸能人がいたり、マウンドを汚してしまった人への怒鳴り(もちろん汚した方が悪いです)など。

あとは単純に野球部は要領がいい人が多いというところに対しての嫉妬か。おれは要領が悪い。きっとおれの前にいる坊主は産後すぐにでんぐり返しを覚えたに違いないし生後七ヶ月で離乳食を啜りながら補助輪を外した自転車で公道を走っていたに違いない。理系の上に坊主。最強をそのまま可視化している存在だ。

やがて男の先生が入ってくる。

マスクはつけているがニコニコしているし、ハキハキしてて感じのいい先生だなと思った。一回マスクをとって「こんな顔してます」と顔を見せた。ヒゲを生やした場合の伊藤健太郎といったところか。伊藤健太郎という名前の男を伊藤健太郎と認識してからテレビではいつも伊藤健太郎がいるなと思う。

コンピューター室に入る。窓の外からの鳥の鳴き声を聞きながら先生の話を聞く。

過去にタイピングの全国大会でかなり上位にランクインしたことがあるがパソコンは苦手である。板タブで絵を描かなくなってからパソコンは一回も触っていない。絵を描かない方がストレスは減ったが、努力すればもっと上手くなったのだろうかという気持ちもある。

先生の話を聞いていたら疲れてしまった。仮病で休んだ日の午後4時のような不快感で頭がいっぱいになった。誰も知らないところに放り込まれるのは尋常じゃないくらいのカロリーを燃焼する。

中1ギャップという言葉がある。

中学生のとき、入学説明会でカルチャーショックなんてもんじゃないくらい落ち込んだ。入学式前日ひたすら親に休ませてくれと言っていた。おれは進学で友達を引き継げたのは保育園から小学校に入るのが最後だった。

知らない人に囲まれて1から人間関係を作ろうとした結果、いろいろなことが同時に限界に達し一年生の二学期に入るまで授業のほとんどを休んだ。

家で寝たきりで聞く高橋優と岡崎体育以外のものを摂るのがいきなりできなくなった。全部ひらがなで書かれたような弱々しい話し方しかできなくなった。あれは中1ギャップか。

高校でもう一回起きたらいよいよ終わりだ。頑張って仲がいい友達を作ろうと思った。といっても誰とも話すことはしなかったが.....

色々な設定を終えて終了。12時。自転車のブレーキを掴んで坂を下がる。帰ってうどんとかつ丼を食べた。初めて自分からヒルナンデスをつけた。もうワイドショーを観るのはやめた方がいいと思った。

人の死と花束、原子

お通夜が始まる。

[Official Music Video] Perfume「VOICE」

カクつく挙動が見ていて不安になるipadで気が狂うくらいパフュームの曲をガタガタの音で聴きながらブログを書き終えて下の階に降りた。

居間には沢山の黒い喪服を着た人で、本当に溢れるくらいの数がいた。おれの家はこんな数の人間を収容できるのかと感動したとともに、密です…と東京都知事のようなことを考えていると、メガネをかけた何人ものおじいさんが同じ髪型をしてうちを訪問したのだが、その内の一人が「前にきてみ」と声をかけてくれたので人の間を通ってみると布団の上に寝たおじいちゃんがいた。

二日前に見たときは笑っているようにも見えたが、日を置いてみると眠っているときの表情になっていた。口の周りの造形が、入れ歯を外したのでアゴが外れたようになっていた。遺体に入れ歯を入れたままにするのかは遺族の任意で決定するらしいがうちの場合は抜いたらしい。

何も手を施していないとこんな形になるものを、今まで入れ歯を入れていただけで普通の顔になるとは無理矢理な医学もあるんだなと思った。(科学的な考えがあって作られてるモノなのは勿論だが)義眼なんかも何百年も前にはすでに存在していたらしい。人工物で身体の機能を補完するというのは近未来感があるが原始的な発想なことに気づいた。

やがて業者の人が来てスケジュールの説明を受けたのち、消毒液っぽい何か(直で飲むとヤバイ類の物だと思います)を染み込ませた脱脂綿でおじいちゃんの身体を拭く儀式が始まった。死んだあとも耳の機能は生きていると言われているので声もかけて欲しいとも言われた。

耳が聞こえるというということは、おそらく脳はまだ微かだろうけど生きているということか。おれは人体への理解度はあの場にいた人間の中では最低だと思うがわからないながらに、心臓が止まると自動的に人は生きることができなくなると改めて思った。まだおじいちゃんは耳が聞こえるというのに……

各自が各自が思った本当のことをおじいちゃんに声がけていた。生前、いつもおじいちゃんを怒鳴りつけて怒っていた父が「父ちゃんありがとう」と大きい声で言った。おれは父がおじいちゃんのことを父ちゃんと呼ぶのを初めて聞いた。その後父が泣いているのを見て、ああこれは芝居とかじゃなくて本当に子供のころ父ちゃんと呼んでいたんだなと思った。

映画館のチケット売り場で映画を見終わった人の泣き顔を映すCMをみると何となく目のやり場に困るおれだが、人が涙を流しているときの喋りに嘘はあまりないといつも思う。涙はなかなか流せるものではない、ということもあるのかもしれない。

死ぬ前の数ヶ月、ほとんど父はおじいちゃんを怒っているばかりだったが、きっと子供の頃は愛情を受けて育てられたんだなと思った。もちろん父の悪態を水に流してはいけないが。

いよいよおれの番が回ってきた。

おじいちゃんになんて声をかけたらいいか。親の前で真剣な態度を取るのは昔から苦手だった。だから学校の入学式や授業参観や卒業式に来る親が苦手で仕方なかった。がこういう羞恥心で何かを妥協したツケがおれが想像できないスケールの後悔になって返ってくるのも知っていたので、とりあえず

「おじいちゃん頑張ったね、ゆっくり休んでね」

と声をかけた。素直に思ったことを言えたので自分の中で悔いはなかった。やがておじいちゃんは着物の形をした布(うまく言えないのですが死装束とも違います。これ以上は言葉にできない)を被せられてハコの中にしまわれた。

ハコを車に移す際におれも手伝うことになった。去年のGWのときに天皇即位の中継を見ながら、三種の神器をわざと落としたらどうなるのかなとか最低のことを考えていたが、ハコを運ぶときにふとそのことを思い出してしまいこれはヤバイぞと震えた。一度人を殴ったらどうなるのかなとかいうことを考えるとキリがない。運搬は無事に終わった。

セレモニーホールに行くマイクロバスの周りには沢山の人がいた。この周辺の地域は人が多いながらもコロナウイルスの感染者が1人で抑えられているらしい。みんなおじいちゃんの死を認識し、手を合わせて、静かに祈っていた。たまたま外をフラついてふと遭遇したであろう黒マスクをつけたヒョロい青年までもが合掌をしていた。

セレモニーホールにつく。色んな人に挨拶をする。お辞儀が深い人。休校で大変だねと声をかけてくれる人。何も言わない人。様々な人がいる。ほとんど知らない人だった。みんなおじいちゃんのことを大切にしていた。

やがて通夜が始まった。会場には三者三様の花、大量の缶詰のお供え、それとまだ白髪染めをして髪が黒かった、おれが親しんできたおじいちゃんが遺影に笑顔で写っていた。

住職にしては明らかに髪の長いお坊さんが入場してくる。お経を読んでいる声とは別に、お坊さんの声にサイン波のような音が乗っているように聞こえた。焼香の番が回ってくる。おじいちゃんの遺影に、祈るというより、敬意を払うように頭を下げた。

型破りのお坊さんだったのでお経を読んだ後何も話さずに退室した(この翌日の葬儀もそうでした)ため予定よりも早く式が終わりスケジュールが全て破壊された。なんかお弁当的な物がラウンジで出されたがバカ舌なので完食できず弟に無理矢理押し付けた。

翌日は葬儀だった。正直寝たときすでに日付が変わっていたが朝の6時過ぎに親に叩き起こされたため身体がバキバキのまま出席した。行く前に見た朝ドラですでに泣きそうだった。ホールのラウンジで死ぬほどコーラを飲んで出席。式中にクソデカいゲップをする確率を増やすことを考えればこれは絶対に間違った判断である。

今日はハコの中に入ったおじいちゃんに花をみんなで入れた。みんなが思い思いに声をかけていた。久しぶりに二人以上の人と一緒にいて優しい気持ちになれた。おれと弟は事前におじいちゃんに書いた手紙も入れた。おじいちゃんがいつもつけていたクマの刺繍がある帽子と、おじいちゃんの勤めていた会社のジャージを入れる。沢山の人が泣いていた。

昼ご飯を食べる。今日も普段食べないような和食料理だったが昨日よりは断然美味しかった。味覚嗅覚のセーフを確認してたくさん食べた。ここ数日あまり食べておらず身体に燃焼するものがなくて朝から枯れていたので胃がデカくなっていた。弟がいらないといったデザートを食べながら、壁の近くにあるおじいちゃんの遺影に気づいた。沢山食べて喜んでるかなと思った。

来てくれた人達と別れて身内でお骨拾いに行く。案内されるがままにおじいちゃんが骨になっている部屋に入る。骨の近くに行くとものすごい熱気が。

やめろ、アトピー患者はヒーターの前にいるだけで体中が痒くなってアンパンマンの鼻みたいなクソデカイ湿疹を纏うんだ……とあまりの熱さに勝手に独白していたおれを横目にお骨拾いの説明があった。骨の周りは300度近い熱で覆われているので素手で触らないようにと言われた。理科の実験でも聞いたことのない数値の熱は触ると絶対死ぬと信じているおれは耳の遠いおばあちゃんがウッカリ直で触らないか心配だった。

骨を足、体、頭の順に拾う。骨を箸で拾うのは、この世とあの世の橋渡しという意味が含まれているらしい。洒落てるなあと思う。

人が死んで火葬場で燃やされた後どうなるのかということを、まだ保育園に行っていたとき親から人間の死ぬシステムを伝えられたときからずっと考えている。

生まれ変わるのか、天国があるのか、原子に還っていくのか。どれにしてももう同じ人間は作れないし二度と目にかかることはないわけである。遺影なり遺骨なり、遺族が死を見届けて一人の人がこの世を生きた証拠をしっかり残すというのは素敵なことだと思う。おれは多分虫みたいな人間にしか及ばないかもしれないけど、しっかり生きた証拠を残していきたい。

外は晴れだった。雲が動く青空をみると無条件に前向きになる。おじいちゃんを火葬場に運ぶバスに乗ったときに花束を持った。ふと最近聴いていたサンボマスターの歌を思い出した。証に花束を贈るってこういうことなんじゃないのと花束の匂いを感じながら思った。セレモニーホールでもらった喉飴は花束みたいな味がした。珍しく噛まずに完食した。 

youtu.be

お通夜と、仮面ライダーのソフビ

5月4日におじいちゃんが亡くなった。

今おれは親の実家にいる。最近は外に出歩くのがはばかられていたので、ずっと家で楽器の練習をしていたが(というかおれは人と3密するとカンシャクを起こすのでいつもこうしている)、流石にウイルスの大流行時の葬儀の集まりで73鍵のキーボードを持ち込んでくるバカとは思われたくなかったので、楽器から離れた今することがなくなってお通夜が始まらないうちにブログを書いている。

おれは小学校の途中に引っ越すまでまでおじいちゃんの家にいた。トイレ以外の部屋は鍵がかからない壊プライバシーの木造住宅だったが建てた当時は多分まだスライド式のドアが主流だったからだと思う。

家にはインコが2羽いた。確か子供のときはハムスターも飼っていた気がする。(死んだときおじいちゃんと一緒に捨てに行った覚えがある)決してペットをたくさん飼っていたわけではないけど動物好きだった。たまに鳥に自分の畑で取れた野菜や市販の煎餅をカゴに入れて食べさせていた。

毎日家に友達を呼んで何時間も喋るおばあちゃんとは対照的にとても無口な人だった。

友達が来るとおれも部屋に呼ばれて話を聞くのだけど、おばあちゃんの話す言葉のほとんどが固有名詞になって何を話しているのかわからなくなったくらいのとき、おじいちゃんを見るとほとんど口を開かず頷いているだけだった。だからあまりおじいちゃんと喋ることは他の家族と比べると多くなかった。

ただおれも無口で、どちらかというと人と話しているとどんどん自意識が膨張してバッドに入る人間なので一緒の部屋にいても気を使うことはなく楽だった。

一人でゲームしたり遊んでいたりしていると「それ何だ」「面白いな」と興味を示して話しかけてくれるのが子供心に嬉しかった。おじいちゃんとテレビやユーチューブ動画を一緒に見る時間が楽しかった。おれが遊んだ仮面ライダーの人形をおれがいないときによく机の上に円の形に並べていたのを覚えている。

あまり喋らない人だったが、一緒にごはんを食べているといつも「たくさん食べてでっかくなれ」と繰り返し言っていた。

今思うと胃がんで胃を切って食べれなくなった分孫に食べさせたかったのかもと死んでしまった後に気づいてしまう。残念ながらおれはかなり胃が小さいため十分な量を摂取できず列の先頭を歩く情けないクソチビ男になってしまったが、たまに帰省するたびに「背が高くなったな」と言ってくれた。

とにかく美味しいものを食べさせようとしてくれていた。おじいちゃんが何かに熱中していたのは見たことがないが(朝ドラは認知症になるまでは毎日見ていた)、趣味でおばあちゃんと一緒にしていた畑仕事で取れた野菜などはいつも料理に出ていたし、おれが何か食べているのを見るとそれを買いだめてくれた。

親は菓子や炭酸は悪だという思想を持っているため(たぶん人骨が溶けると今でも本気で思っている)口に入れているのを見ると没収されてしまうこともあったが、おじいちゃんは「いいんだて(大丈夫だからの意)」とおれに食べさせてくれた。調子に乗りすぎて虫歯を大量に作ったこともある。

自分にほとんどお金を使わず家族のごちそうにお金を使ったり、町内の仕事を率先してやったり、大雨の日はいつも車で迎えに来てくれたり、他人の子にもしっかり注意ができる、しっかりした優しいおじいちゃんだった。80を過ぎても自分の土地の管理のほとんどを外の会社に任せず自分でやっていた。

おじいちゃんは一昨年くらいからおかしくなっていったという。去年シンガポールの旅行から帰ってきたときに親に「認知症かもしれない」と言われた。

聞けば出かけてから何時間も道に迷う、人の名前を忘れる、日付が言えなくなったといったことが起こっているらしい。年齢を思えば十分あり得る話だと思ったが、本人は検診に行きたくはないと言っている。おれはまだ認知症にはなってないと思っているが、確かに自分を認知症と言う人がいるというのはキツいことでもあると思う。

やがて医者に行って要介護認定されてからは時間が早く過ぎていった。ちょうど去年は高齢ドライバーの事故がよく問題になっていたので免許も返納したし、遺産相続の手続きなども急ピッチで進んでいたらしい。(そんなことあんまり伝えられてなかったが)

そしてかねてより身体を痛めていたおじいちゃんは身体の異常も出ていた。足の浮腫が大変なことになっているために1日の水分摂取量も1リットルに制限された。おれは毎日やさしい麦茶の原液を2リットルの水に溶かして飲み干すほどの茶乱なのでその制限では苦悩に耐えきれず飛び降りてしまうと思う。

なんとなく人は禁止されたことを以前より意識する本能がある(例:全校鬼ごっこ、荒れた川を見る)気がするのでおじいちゃんは禁止される前よりもペットボトルを飲むようになった。アルコールを禁止された反動でなっちゃんを飲んではどこかに隠す(判断能力が鈍っているのですぐバレるが)のでおばあちゃんによく叱られるらしい。

叱られると脳が萎縮するので悪のサイクルに落ちいってしまったのだが、介護のストレスに介護をしていない人間が下手に口出しすべきではない。浮腫が回復していったと思ったら次は体重の減少と脱水症状が同時に起こってしまったらしい。医者曰くもっと遅く診療していたらマズかったとのこと。

おれもそのとき実家にいた。コロナが流行りはじめていたので、連日往診のために医者が来て点滴を打っていた。おれたちが帰ったあともおばあちゃん一人で介護をしていた。寝たきりの状態になって入院しなければならなくなってすぐにおじいちゃんは死んだ。呼吸が停止したと病院から連絡があったらしい。

この大型連休、少し行くのははばかられたがおそらくおれと家族は葬式に出席しないといけない人間なので(というかよばれた)向かった。村社会とまではいかないが少し人の繋がり方が異常な実家なので家にはたくさんの人がいた。

この𝓭𝓲𝓼𝓽𝓪𝓷𝓬𝓮、東京だったら三日以内に死ぬぞと叫びたい気持ちを抑えておじいちゃんの遺体を見に行った。笑っているようだった。最後は穏やかで、数時間前にかけつけた親戚の名前も言えたらしい。

「触ってみて」

と葬儀会社の人に言われて、ドライアイスを抱いて眠っているおじいちゃんの肩を触ってみる。死んでから少ししか経過していないため、まだ熱がこもっている。最後まで頑張って生き抜いたんだなと思った。

そんなことを思いながら顔を見ると、おじいちゃんがこっちを見た気がした。もしかして生きてるのかおじいちゃんと思うほど目が、ほんの僅かだけど動いている気がした。死後硬直で数時間は顔の表情が微妙に変化してくるらしい。

陽射しが差し込む畳の上で、各々が寝たおじいちゃんの周りでおじいちゃんの話をしている。ふと誰も涙を流していないことに気がついた。もともと長くないと医者から聞いていたのもあるかもしれない。

おれは昔からドラマやアニメなどで葬式ですすり泣く人が映り込むカットをよく見ることがあった。人の死で泣くのはきっと世界中で同じだと思うが、おれは昔からお通夜から葬式で泣いたことがないし、泣く人もそんなに見たことはない。

昔は余韻を感じない自分を頭がおかしいのかもと自責していたが、今はそれは変ではない、別に泣いてもいいし泣かなくてもいいと思うようになった。星野源の本にも「人の死に触れると前向きなパワーが湧く」みたいな話が確かあった気がする。

今はとりあえず、素直におじいちゃんの死に向き合って葬儀に立ち会おうと思う。今日置かれたおじいちゃんの遺影を見て、おじいちゃんとよく遊ぶ時に使った仮面ライダーのソフビで遺影を囲って祭るのもオツですねと思った。(全然オツじゃないが)少し前に使った喪服を久々に取り出したら郵便局のポケットティッシュが5個溢れてきて意味がわからなかった。

お知らせ

またこんなときになのですが、最近アクセス数が上昇し、ありがたい限りです。いつもありがとうございます。そんなところ申し訳ないのですが、諸事情により三週間更新をストップします。

追記:ここ数日間、少しネガティブな検索ワードでヒットしていることもありブログを非公開にしていましたが、数日考えた結果、削除はしませんが、受験が終わる2020年3月まで更新をストップします。

イロモネアの動画で泣いちゃった

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別にライブに足を運んでいるわけでもないし、握手会に行くわけでもないが、お笑い芸人が好きだ。

あまり数も知らないけど、バナナマンおぎやはぎアンジャッシュが好きです。最近は趣味に関して受け身ではなく自分で探すということも楽しいなと思っているので、どんどんディグっていこうという気持ちになっている。なかなかする時間もないですが……

昔は好きな芸人のファンアートを描いていたこともあったし(見返すたびにツイッターアカウントの削除を検討しているが、パソコンからの手続きが面倒なのを理由に半年が春から経っている)時たま芸人のネタ見せライブをアマゾンなどで購入して、再生してゲラゲラ笑うこともある。おれの笑い声は街で1番苛立つ声だと思う。おれの声で管理会社から家族共々アパートから追い出されたらおしまいである。

好きなことで生きていく。それはできるものならしたい、という人も少なくないと思う。ただしその中に「でも難しそうだ」という理由で望んでいなかった就職先に入る人もいるくらいにそういったイメージがつきものである。そういった理由込みで、嫌味のつもりで言うわけでは決してないが、多くの人が選ぶ道の方が楽なのは当たり前のことである。

なぜかというと、仕事に対する正解というのが多くの人が本来したい仕事というのは見つけづらいからである。(スポーツ系はまた別だが)ある程度こうすると表現としてはいいだろうという傾向はあるが、そこを起点として仕事として成立するしないが決まってくるのだろうと思います。

その結果が好き嫌いの数で、結果的には優劣が出る。どこの世界にも仕事の力を試される場所がある。イロモネアは、お笑い番組のそれなんじゃないかと思う。

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爆笑オンエアバトルという、観客の審査でVTRが切られる番組があったけど、あの番組の点が入らない部分に相当するところの緊張感があると思う。この番組はウケない部分も含めて放送される。そういう点ではM-1などはオンエアしたものを数値で表すところは似ていますが、なぜこんなにも番組に張り詰めている空気が流れているのだろう。ウッチャンナンチャンとのスタジオの温度差がすごい……

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じゃあなんで番組の中でこんなに違いは出てくるのというのということだけども、恐らくコント一つの近年の番組(それが嫌とかそういうことではないです)と対して即興性が強いお題で勝負するのが芸人の実力がはかられるところだからだと思う。

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このお題の中にも事前に考えられるものなどはあるけど、時間制限1分の中でウケによって順番を変えたり、ネタ振りの時間を短くしたりでいろいろと制限がかかるものがある。あとは審査員が色眼鏡なしの一般の観覧客(カメラが差し込まれるのはお客さんは気づかないらしいですよ)だというのも非常に大きい。とにかく、面白いです。みなさんもぜひ。