かいどぅ

日記など

星野源のグーの「グー」は、何

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星野源

上画像で素朴に笑うこの男、1981年にオギャンと埼玉県に誕生し、インストバンドサケロック大人計画での演劇活動、コラムやエッセイの執筆をひたむきに頑張り続けた結果、ぼくらが何だかわからないうちに紅白のトリを独占、親からもらった体だけで118億の経済効果を叩き出すまでに急成長していた。親からもらった体を自分で壊していろんな病院をはしごしているおれとは違う。先月から高校生になり診療費もバカにならなくなったのも痛手である。このままメガバンクになろうとしている一人の人間のような経歴になってしまったがざっくりまとめると星野源はこんな感じである。もちろんいろんな苦労があったことも知っている。

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星野源アイマスを愛している

星野源の曲、というとどんなものが浮かぶだろうか。ブラックミュージックや、細野晴臣が世に広めたエキゾチカに大きく影響を受けた楽曲。他にもバックボーンはあるが説明するとキリがないのでここらへんにしておく。

歌詞はどうだろう。平坦でありながらキャッチーなフレーズも多い。今これを書いてる横でテレビでノンストップが流れている。ノンストップのテーマ曲「Non stop」は星野源の曲だが「夜の姿になるまでノンストップ(多分そう歌っている)」というフレーズ。この軽快さが星野源の歌の特徴だと思う。爽やか、疾走感、よりも軽快さという言葉がちょうどいい感じ。

平坦、と書いたが星野源の歌詞にはこの意識が顕著に出ているものが多い。最近の曲は世界進出の具合に比例して、普遍的なこの世への意識が強く歌詞に出ているものもある。が少なくとも星野源の軸はブレていないような気がする。

愚痴になるがおれはここ一年くらいで星野源はスーパーオーガニズムのオロノに影響されたなと思った。ひるむことなく意見を言えるのはいいことだが、日本の文化の問題になっているところを批判するのではなく、自分の好みに合わない日本の文化に好き勝手言っているように見えるオロノの姿勢は少し苦手だった。結局ここでしか人の好き嫌いを言えないおれが人の芯の太さにどうこう言っても説得力はないが…

星野源の歌は、ほかのアーティストと比べて非日常を感じる歌が少ない。(あるにはあるが)恋の「この世にいる誰も二人から」やアイデアの「続く日々を奏でる人へ」など、当たり前を重きに置いているという感じはなんとなく伝わってくると思う。一気に駆け抜けるような歌詞ではなく、いつまでも足踏みをしているような歌詞が続く。

星野源の歌詞に出てくる人間は自分主体で普通の日常を望んで送っている。そこにタワーマンションに住む人間などの「自分とそれ以外の人間」みたいな比較対象は存在しない。

星野源の影響なのか近年の恋愛ソングの歌詞はこういう傾向が増えているが、星野源とそれらの歌が違う点は「そんなものがなくても私たちはいいですよ」というマインドだとおれは思う。高望みしなくてもあなたがいるならいいというような、ある種派手への対抗のようにもとれる形で普通の日常を送る歌にしばし出る「生活」っぽいモチーフ(例:コンビニ)になんとなく素直に向き合えないおれであるが、星野源の歌詞は比較対象を排除してただ

「ああ幸せだー」

と噛み締めているから好きなんだと思うわけです。星野源は生活というものをあまり好きでないと公表している。  

どうだろうか。星野源の歌は平凡な日常を送る自分を高めの位置から俯瞰しているのではなく、平凡な日常を送る自分が自分の目線で見たものをそのまま写している。生活を素晴らしいものにしようと、自分の身の回りに向き合い面白さを見出すという姿勢は歌の中にも。生活は丁寧な暮らしのようなものではなく、つまらないの中で面白いものを探す努力をすることに近い、というのが星野源的な咀嚼の仕方だと思った。

 

星野源の初期の歌は特にその色が強い。ばかのうたにある歌は普遍的日常を送る人間(本で言及されていたがどうも登場人物は星野源自身ではないらしい)が悶々と考えることが歌詞にそのままなったようだ。

このアルバムに収録されているグーという歌がある。星野源のセルフライナーは「好きな人と一緒に死ねたらいいよね」ということになっている。本筋とはズレるが、星野源が生活の描写にこだわる理由もこの歌に少し隠れているような気がするので、そこについても書いていきたい。

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少し脱線するが、死ぬ瞬間と普遍的な幸せがある歌詞として、シロップ16グラムのイマジンは共通している。

「将来は素敵な家とあと犬がいて」

「最後はベッドでありがとうって言って」

「人は人のまんまで そのままで美しい」

初めて知ったときはなんとも思わなかったが、聴いているうちに星野源のグーの思想と似ているなと思った。これも是非聞いて欲しい。

 

夢を見た日の寝起きの顔

ぶちゃむくれているけれど好きなの

ファンデーションより

すごいまつげより

グーグーグーグーグーグーグー

寝た後の顔がいい

 

人間の寝起きの顔はむくれている。女性ならば化粧をする人も多いので寝起きの顔は何も手を施していないすっぴんということになる。前に、ナンパした女性と寝て次の朝起きたら別人だったという話をネットで見かけた。それほどメイクで劇的にかわいくなる人もいる。

ぶちゃむくれているけれど、というのはすっぴんの顔は少し変かもしれないけどということだろうか。けれどという否定を入れてから「好きなの」ということは別に顔がどんな造形であってもいいしありのままのあなたを受け入れるよ、ということを言いたいのだろう。次に続くのは化粧品。ファンデーション、すごいまつげはない「寝た後の顔」がいい。この曲はこの文の構成を変えないまま最後まで流れる。Aメロとサビを5回繰り返して終了という異質な作曲。

 

西日差し込む居間の中で

しわを重ねた口がポッカリと

すごい着物より

輝くドレスより

グーグーグーグーグーグーグー

昼寝のよだれがいい

 

 

西日差し込む部屋というのは夕方の部屋。しわを重ねた口がポッカリとという歌詞を見ると二人は歳をとったのかと思うが、次の「すごい着物より 輝くドレスより」という歌詞は結婚式を連想させる。寝起きの顔を鏡で見るとこんなに老けてたっけと思うくらいほうれい線が濃くなっていることがおれはたまにあります。寝過ぎてシワを重ねただけともとれる

二人は結婚するのかしたのか。それは星野源にしかわからないが、いきなり結婚のモチーフが出てくるということは直近のタイミングで結婚したのだろう。結婚式の疲れで昼寝も長くなってしまい、よだれを垂らすほど熟睡してしまった妻。でもそんな顔がいい。そういう解釈もできる。

すごい着物より輝くドレスより昼寝のよだれがいいというのは、1番の寝た後の顔がいいのラインと同じ意味だけを持つわけではないと思う。結婚式という非日常からの解放。家に帰るといつもと変わらない時間がある。

星野源の思考の本質はこの部分にあるんじゃないか。当たり前の日常は素晴らしいものがあると一周回った考えを漠然と受け入れることをせず、地味な生活と向き合った結果、妻の寝顔、それもよだれが僕は好きなんだと。そうやって幸せを見出して、当たり前の日常「にも」素晴らしいものがあると噛み締める。

見る人によっては狂気的な幸せだともとれてしまうが、そもそも生活にわかりやすい派手な幸せのようなものは存在しないから、楽しみを見つけて前向きに生きようというパワーが星野源の歌にはある。

 

 

白いカーテンが揺れたよいま

この部屋にいつ来たのかわからない

すごい機械より

白いベッドより

グーグーグーグーグーグーグー

うちの布団がいい

 

 

この部屋にいつ来たのかわからない、と言っているので、目を覚ましたらいきなり知らんとこに置かれた、という状況。すごい機械と白いベッドが連想させるのは病院である。うちの布団がいいというのは安心感や妻を求めているということかな。

ここからはもう完全におれの主観なので解釈違いで拳を飛ばす前に電源を消すのがオススメだが星野源の恋愛ソングは基本的に相手がいない。(聴き手に語りかける歌は別にしても)というか、喋り言葉な感じがない。そもそも全ての歌詞がついた歌は作者の独り言のため話す相手なんかいないのだが。

RADWIMPSとかクリープハイプは主人公が面倒な人間なことも多いため相手を無視したままベラベラ喋るような歌詞が多いが、星野源の歌詞はラブソングであっても相手とコミュニケーションをしているのではなく自分の心の中の独白のような歌詞が多い。

このグーという歌も恋愛ソングでありながらあまり相手がいる感じはない。この3番で「白いカーテンが揺れたよ」というフレーズがあるが、これも恐らく相手に話しているわけではない。なんでこんなに内省的なのかと思ったが、星野源の恋愛ソングはグーからわかるように恐らく好きな人を主体に書いているのではなく、1日の中にある好きな人、という視点で書いているからではとふと気づいた。

 

 

隣の椅子で寝起きの顔

疲れてるのその笑顔好きなの

エロいナースより

管だらけより

グーグーグーグーグーグーグー

お前の隣がいい

 

椅子で眠る妻。おそらく見舞いに来たのだと思う。おれは逆上がりに失敗して腕の骨を折ったと同時に手足口病(4日ぐらい口の中が痛すぎてほぼ何も食べれませんでした)になったとき点滴を何時間も打つことになって、親も病室にいたのだがしばらくして寝てしまったのを見たことがあるからこの歌詞は共感する。エロいナース、管だらけというところで病院だとわかる。1番からの推移を見ると寝た後の顔からお前の隣という、少しだけだが抽象的なものになっている。なんでもいいから妻といたいという思いが伝わる。

 

 

見慣れた天井見て笑う

二人の布団は少し狭いな

寝起きの顔は

たぶん見れないけど

グーグーグーグーグーグーグー

お前の懐で

グーグーグーグーグーグーグー

少し眠ろう

 

 

見慣れた天井というのは入院しすぎて見慣れた病室かと思ったが、この歌は病院より家で死にたいという歌なのでこれは自宅ということだそう。大好きだった寝起きの顔はもう見れないが、少し寝よう。もう見れないというのはこの歌が夫婦一緒に死ぬ歌だから妻は永眠してしまう上、自分も起きることはないということを含んでいるんだろう。ここで歌詞は終わっている。うまくまとまらなかった上、途中の独白うんぬんは本当に意味が分からなくなったが、一応こういう文章をかきたくなったからかいたという記録として残しておく。

最後に、タイトルのグーだが、睡眠のモチーフが頻出しているので寝息なのではないかと思う。寝起きの顔がいいからグー、という考察もある。他にもあったらぜひ教えてください。