かいどぅ

日記など

お通夜と、仮面ライダーのソフビ

5月4日におじいちゃんが亡くなった。

今おれは親の実家にいる。最近は外に出歩くのがはばかられていたので、ずっと家で楽器の練習をしていたが(というかおれは人と3密するとカンシャクを起こすのでいつもこうしている)、流石にウイルスの大流行時の葬儀の集まりで73鍵のキーボードを持ち込んでくるバカとは思われたくなかったので、楽器から離れた今することがなくなってお通夜が始まらないうちにブログを書いている。

おれは小学校の途中に引っ越すまでまでおじいちゃんの家にいた。トイレ以外の部屋は鍵がかからない壊プライバシーの木造住宅だったが建てた当時は多分まだスライド式のドアが主流だったからだと思う。

家にはインコが2羽いた。確か子供のときはハムスターも飼っていた気がする。(死んだときおじいちゃんと一緒に捨てに行った覚えがある)決してペットをたくさん飼っていたわけではないけど動物好きだった。たまに鳥に自分の畑で取れた野菜や市販の煎餅をカゴに入れて食べさせていた。

毎日家に友達を呼んで何時間も喋るおばあちゃんとは対照的にとても無口な人だった。

友達が来るとおれも部屋に呼ばれて話を聞くのだけど、おばあちゃんの話す言葉のほとんどが固有名詞になって何を話しているのかわからなくなったくらいのとき、おじいちゃんを見るとほとんど口を開かず頷いているだけだった。だからあまりおじいちゃんと喋ることは他の家族と比べると多くなかった。

ただおれも無口で、どちらかというと人と話しているとどんどん自意識が膨張してバッドに入る人間なので一緒の部屋にいても気を使うことはなく楽だった。

一人でゲームしたり遊んでいたりしていると「それ何だ」「面白いな」と興味を示して話しかけてくれるのが子供心に嬉しかった。おじいちゃんとテレビやユーチューブ動画を一緒に見る時間が楽しかった。おれが遊んだ仮面ライダーの人形をおれがいないときによく机の上に円の形に並べていたのを覚えている。

あまり喋らない人だったが、一緒にごはんを食べているといつも「たくさん食べてでっかくなれ」と繰り返し言っていた。

今思うと胃がんで胃を切って食べれなくなった分孫に食べさせたかったのかもと死んでしまった後に気づいてしまう。残念ながらおれはかなり胃が小さいため十分な量を摂取できず列の先頭を歩く情けないクソチビ男になってしまったが、たまに帰省するたびに「背が高くなったな」と言ってくれた。

とにかく美味しいものを食べさせようとしてくれていた。おじいちゃんが何かに熱中していたのは見たことがないが(朝ドラは認知症になるまでは毎日見ていた)、趣味でおばあちゃんと一緒にしていた畑仕事で取れた野菜などはいつも料理に出ていたし、おれが何か食べているのを見るとそれを買いだめてくれた。

親は菓子や炭酸は悪だという思想を持っているため(たぶん人骨が溶けると今でも本気で思っている)口に入れているのを見ると没収されてしまうこともあったが、おじいちゃんは「いいんだて(大丈夫だからの意)」とおれに食べさせてくれた。調子に乗りすぎて虫歯を大量に作ったこともある。

自分にほとんどお金を使わず家族のごちそうにお金を使ったり、町内の仕事を率先してやったり、大雨の日はいつも車で迎えに来てくれたり、他人の子にもしっかり注意ができる、しっかりした優しいおじいちゃんだった。80を過ぎても自分の土地の管理のほとんどを外の会社に任せず自分でやっていた。

おじいちゃんは一昨年くらいからおかしくなっていったという。去年シンガポールの旅行から帰ってきたときに親に「認知症かもしれない」と言われた。

聞けば出かけてから何時間も道に迷う、人の名前を忘れる、日付が言えなくなったといったことが起こっているらしい。年齢を思えば十分あり得る話だと思ったが、本人は検診に行きたくはないと言っている。おれはまだ認知症にはなってないと思っているが、確かに自分を認知症と言う人がいるというのはキツいことでもあると思う。

やがて医者に行って要介護認定されてからは時間が早く過ぎていった。ちょうど去年は高齢ドライバーの事故がよく問題になっていたので免許も返納したし、遺産相続の手続きなども急ピッチで進んでいたらしい。(そんなことあんまり伝えられてなかったが)

そしてかねてより身体を痛めていたおじいちゃんは身体の異常も出ていた。足の浮腫が大変なことになっているために1日の水分摂取量も1リットルに制限された。おれは毎日やさしい麦茶の原液を2リットルの水に溶かして飲み干すほどの茶乱なのでその制限では苦悩に耐えきれず飛び降りてしまうと思う。

なんとなく人は禁止されたことを以前より意識する本能がある(例:全校鬼ごっこ、荒れた川を見る)気がするのでおじいちゃんは禁止される前よりもペットボトルを飲むようになった。アルコールを禁止された反動でなっちゃんを飲んではどこかに隠す(判断能力が鈍っているのですぐバレるが)のでおばあちゃんによく叱られるらしい。

叱られると脳が萎縮するので悪のサイクルに落ちいってしまったのだが、介護のストレスに介護をしていない人間が下手に口出しすべきではない。浮腫が回復していったと思ったら次は体重の減少と脱水症状が同時に起こってしまったらしい。医者曰くもっと遅く診療していたらマズかったとのこと。

おれもそのとき実家にいた。コロナが流行りはじめていたので、連日往診のために医者が来て点滴を打っていた。おれたちが帰ったあともおばあちゃん一人で介護をしていた。寝たきりの状態になって入院しなければならなくなってすぐにおじいちゃんは死んだ。呼吸が停止したと病院から連絡があったらしい。

この大型連休、少し行くのははばかられたがおそらくおれと家族は葬式に出席しないといけない人間なので(というかよばれた)向かった。村社会とまではいかないが少し人の繋がり方が異常な実家なので家にはたくさんの人がいた。

この𝓭𝓲𝓼𝓽𝓪𝓷𝓬𝓮、東京だったら三日以内に死ぬぞと叫びたい気持ちを抑えておじいちゃんの遺体を見に行った。笑っているようだった。最後は穏やかで、数時間前にかけつけた親戚の名前も言えたらしい。

「触ってみて」

と葬儀会社の人に言われて、ドライアイスを抱いて眠っているおじいちゃんの肩を触ってみる。死んでから少ししか経過していないため、まだ熱がこもっている。最後まで頑張って生き抜いたんだなと思った。

そんなことを思いながら顔を見ると、おじいちゃんがこっちを見た気がした。もしかして生きてるのかおじいちゃんと思うほど目が、ほんの僅かだけど動いている気がした。死後硬直で数時間は顔の表情が微妙に変化してくるらしい。

陽射しが差し込む畳の上で、各々が寝たおじいちゃんの周りでおじいちゃんの話をしている。ふと誰も涙を流していないことに気がついた。もともと長くないと医者から聞いていたのもあるかもしれない。

おれは昔からドラマやアニメなどで葬式ですすり泣く人が映り込むカットをよく見ることがあった。人の死で泣くのはきっと世界中で同じだと思うが、おれは昔からお通夜から葬式で泣いたことがないし、泣く人もそんなに見たことはない。

昔は余韻を感じない自分を頭がおかしいのかもと自責していたが、今はそれは変ではない、別に泣いてもいいし泣かなくてもいいと思うようになった。星野源の本にも「人の死に触れると前向きなパワーが湧く」みたいな話が確かあった気がする。

今はとりあえず、素直におじいちゃんの死に向き合って葬儀に立ち会おうと思う。今日置かれたおじいちゃんの遺影を見て、おじいちゃんとよく遊ぶ時に使った仮面ライダーのソフビで遺影を囲って祭るのもオツですねと思った。(全然オツじゃないが)少し前に使った喪服を久々に取り出したら郵便局のポケットティッシュが5個溢れてきて意味がわからなかった。